*1984年
ロバート・レッドフォード主演の野球映画「ナチュラル」が公開される。高橋(現GM)は渋谷にてこの映画を鑑賞。その後、夕食のため南平台の小さな欧風レストラン「あどれっさん」を訪れる。その店で、食事をしながら大声で野球の話しに興じる四人組に遭遇。野球映画を見た夜に、野球話しで盛り上がる男たちに会う偶然を、なぜか不思議に思う。
(当時はスキーとテニスの全盛時代で、野球はアカ抜けないオッサンが好むカッコ悪いスポーツの代表、おしゃれな店では話題にすることすら恥ずかしいことだった)
(当時はスキーとテニスの全盛時代で、野球はアカ抜けないオッサンが好むカッコ悪いスポーツの代表、おしゃれな店では話題にすることすら恥ずかしいことだった)
*1987年
高橋の勤め先だったCGプロダクション「JCGL」は、渋谷区南平台から池袋に移転、そのビルの裏に有った「池袋南公園」にて、「ボール遊びスペース」が有ったことから、お昼休みに社員たちのキャッチボールが始まる。
*1988年
「JCGL」で、後輩社員たちから「野球チームを作りたいので、監督をやって欲しい」と、年長だった高橋に要望が来る。
「誰よりも野球好きなのに、本物の試合形式で野球をやったことが無い者」
「野球部が無く、他のスポーツをやらざるをえなかった者」
「女子は野球部に入れず、仕方なくソフトボール部に入った者」
野球チームを作ろうとしていた後輩社員たちは、そんな奴らの集まりだった。ちょうど、映画「フィールド・オブ・ドリームス」の試写会チケットに当選し、映画鑑賞した直後のこと。奇しくもその映画は「あと一歩のところで夢をあきらめた人々の、途方もない奇跡をかなえてゆく物語」だった。
フィールド・オブ・ドリームスの中のセリフ、
「If you build it, he will come.(それを作れば彼はやって来る)」
の言葉のように、草野球チームを作れば、野球をあきらめたヤツらがやって来て、思う存分ゲームができるはず・・ と、映画を想い出して高橋は考えた。
同年12月、キャッチボール仲間を中心に、社内チームとして「GOBLINS」が誕生。しかし翌年の年度末、「JCGL」が経営不振のため解散、ナムコに吸収されることになった。結果メンバーは散り散りになることが決定。
*1989年
4月、せっかく作った野球チームだったが、消滅の危機が迫っていた。そこで、最後の記念?として、人数をかき集め、上司に紹介されたチーム、「シュガー」を相手に初めての対外試合を行うことになった。
ところがその「シュガー」のメンバーは、なんと偶然にも、5年前、野球映画「ナチュラル」の鑑賞後、欧風レストラン「あどれっさん」にて、大声で野球の話しに盛り上がっていた男たちだった。
その「意味のある偶然の一致?」が、きっかけとなったのかは不明だが、散り散りになりながらもチームは存続することが決定。しかし、全メンバーでも7名しかおらず、練習専門チームとして約一年間を過ごすことになる。
この間、対外試合は府中グラウンドにて1戦(快勝)と、その他ナムコの社員になったメンバーから「大井競馬場のスペースでナムコ・ソフトボール大会が行われる」との情報が寄せられ、試合に飢えていたゴブリンズのメンバーは、ここぞとばかり助っ人として多数が参加、1年間練習に明け暮れた成果なのか、なんと準優勝を成し遂げ、トロフィーまでいただく。
やがて何とか9人以上が集まり、シュガーの勧めもあって、シュガーが主催していた「KONOリーグ」に参加。何とか年間5試合は確実に行えるメドが立つことになったのだ・・
0 件のコメント:
コメントを投稿
参加選手はコメントをお願いします